マイメモリー

これまでの人生を娘に残しておこう。
パパはこんな人生を歩んできました。

あんまり参考にならないと思うから笑って読み飛ばしてね。
でも後悔することは何もない人生でずっと楽しく生きています。

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大学生からフリーターになる

大学受験をした。
高校を卒業した後にやりたいこともなかった。
勉強したいこともなかった。

ただ自分の学力でどこまで受かるか試してみたかっただけ。
完全に自己満足の世界で無駄なことだけど、自分では面白いと思った。
だから塾にも行かなかった。

そんな気持ちなので、受験勉強は全く捗らなかった。
部活を引退していたけど、たまに遊びに行ったりしてた。
やはり目的意識が薄いとやる気が出ない。

早稲田、法政、日大と3校を受験して日大だけ受かった。
でも大学には行きたいと思わなかった。
だってやりたいこともないし、親にお金を出してもらうのも悪いし。

その頃、売れていた「金持ち父さん」の本を読んだ。
早く仕事をして自分で稼ぎたい。早く実家から出て自立したいと思った。

だから親には大学に行っても辞めるから行かないと言った。
とりあえず行ってみてから決めればと言って母は反対した。

今思えば、親からしたら仕事も決まっていない。学校も行かない。
ニートという言葉は当時なかったけど、まさにそれ。
仕事を決めてれば親も納得したかもしれない。

とりあえず家から出れると思って、大学へ行くことにした。
初めての一人暮らし。
通学にも使えるので原付を買った。

親からも学校からも何も干渉されない生活。
自由を手に入れた実感があった。

奨学金を借りて、アルバイトをして生活していく。

大学には始めの1ヵ月は毎日行った。
でも楽しくない。
楽しもうという気持ちが足りなかったのもあると思う。
サークルにも入ったけど、ただなんか違う気がした。

きっと高校が楽しすぎたせいだな。
部活がメインだったけど、楽しい3年間だった。テニス部に入って本当に良かった。
2つ下の後輩と仲良くて引退してからもよく遊んでいた。
あまりに楽しかったから留年して一緒に卒業することもちょっと考えた。
でも一つ下のクラスはよく分からないから断念した。

大学に入ってからすぐにファミレスでアルバイトを始めた。そこがまたすごく良かった。
働いている人みんな仲良くて毎日楽しかった。
そこで会った人たちと一緒に仕事をするなら、仕事がもしつまらなかったとしても楽しく出来ると思った。
今でもよく遊ぶ大切な人たち。

結局大学には週1回、月2回、月1回とだんだん行かなくなった。前期のテストは一つだけ受けた。

夏休みに入ってまた母に大学を辞めると言った。
もう少し行ってみてからでもいいんじゃない?とまた反対された。
学費もったいないよと言っても納得してくれなかった。
今思うと、やりたいこともなく辞めた後のことを何も考えていなかったから心配してたんだろう。

親が学費出したから後期が始まってから少し行くようになった。
でも長続きしなくて、1ヶ月後にはほとんど行かなくなった。
親ももう無理だと思ったのか。
1月に退学届けを出した。

相変わらずファミレスの人たちと毎日遊んでいた。
家が溜まり場になっていた。よく朝まで遊んだりもした。

この時は毎日楽しければいいやという考えで、将来のこととかは何も考えていなかった。
別に何とかなると思っていた。

ただ大学を辞めて後悔したことは今まで一度もない。

そして大学生から正式なフリーターになった。

時間だけが過ぎていったフリーター時代

大学を辞めて本格的なフリーター生活が始まった。

車の免許を取って、友人と北海道に旅行へ行った。
北海道一周しようと思って函館からレンタカーでスタートした。
温泉や観光地を巡ったりして1週間かけて小樽まで行った。
結局、旅行期間が足りずに、北海道の1/4くらいで断念した。
北海道は想像していたよりも全然広かった。

いつか東側の根室や知床、釧路の方に行ってみたい。

大学を辞めて奨学金がなくなったので、ファミレスとかけもちで色々なアルバイトをした。

靴の販売、不動産の事務、ポスティング、訪問営業、電話営業。
日払いで工事現場、仕分け、イベント設営などもやった。
どれも長くは続かなかったけど、不動産屋さんだけは少し長かった。

社長から社員にならないかと誘われたが、断ってしまった。
まだまだ若いし他の仕事も色々やってみたいと思った。

その頃、特発性過眠症、ナルコレプシーが発症した。
笑ったり興奮すると脱力発作が起きる。昼間に寝てしまう。

あとネットワークビジネスを始めた。単純にお金持ちになりたかった。
ファミレスの友達からも辞めたほうがいいと言われたが、聞かなかった。
結局、続かなかった。

相変わらずファミレスの友人たちとフットサルやサッカーも定期的によくやっていてとにかくよく遊んでいた。

初めてパソコンを買った。
友達に色々と教えてもらって選んだ「DELL」のデスクトップパソコン。
ほとんど動画をダウンロードして見てただけだった。
この時にHTMLとか画像加工ソフトとか勉強しておけば良かったな。

実家にはほとんど帰らなかった。いつも周りに遊ぶ友達が誰かしらいた。

ファミレスで一目惚れした子が彼氏と別れたって言って付き合うことになった。
2つ上の可愛い先輩だった。毎日のように会ってた。
でも慣れって恐ろしい。

あんなに可愛いくて一目惚れだったのに、毎日会って連絡もしょっちゅう来るのが辛くなっていった。
だんだん連絡の回数を少なくするようになっていった。
寝ている時に勝手に家に来たときはかなり引いた。

どれくらい続いたのかもあまり覚えていないけど、半年くらいだったと思う。
最後は逃げるように引っ越しをした。
本当に悪いことをしたなと思う。ひどい男だった。

そんな生活をしていて、特に実りもなく時間だけが過ぎていった。

特にやりたいことも見つからないままだった。
気づくと一人暮らしを始めて3年が過ぎていた。

新しい仕事と同棲生活

フリーターの収入でやっていくのもギリギリだった。

とりあえず時給の高い仕事を探して派遣社員として家電量販店で携帯販売を始めた。
今までの給料の2倍くらい稼げるようになったので、赤色の最新の原付を買った。

広くて新しい家に引越しをした。初めての引っ越し。
27㎡のカウンターキッチンで築浅アパート。
前よりも広くなったのでソファーやセミダブルベッドも買った。

相変わらずファミレスの友人たちと遊んでいた。

お花見の時は、昼間から日本酒を飲み過ぎてベロベロになってしまった。
人生で初めて記憶がなくなった。
朝まで吐き続けて最後は何も出ないけど気持ち悪さはなくならなかった。

次の日は仕事だったので、朝友達に病院に連れてってもらった。
急性アルコール中毒だった。
点滴を打ってから仕事に行った。
それ以降、日本酒はあまり飲めなくなった。

新しいアパートは広くて綺麗だったので皆の溜まり場になっていた。
夏休みには、1ヵ月4人くらいで共同生活をした。家族ごっこ。

働いていたのはボクだけだったので、朝は仕事に行って帰ってくるとご飯を作って待っててくれた。
今思うとよくあの広さで、4人くらいで生活が出来ていたな。

携帯販売の仕事も楽しかった。
今のようにサービス内容も複雑ではなかったし、何より一緒に働いている人たちが良かった。
今でもたまに集まったりしている。

みんなで協力して一丸となって仕事をしているという実感があった。
週の半分は仕事終わった後に飲んでた。
ランチも毎日1,000円使ってた。今となって思うのは無駄遣い。

そんな中で同じ職場の彼女が出来た。彼氏と同棲中だったけど、別れてもらった。
前の彼女ももともと彼氏持ちだったな。
職場は同じだったけど、仕事とプライベートは完全に分けていた。

そして彼女はボクのアパートへ来て同棲生活が始まった。

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